ハルノの日々の話

「お題」と詩と日々の話

どんなふうに歳をとりたいか?老いのロールモデル

 私は若いころから<ロールモデル>を探すのが好きだった。「あんなふうになりたい」と考え方やライフスタイルにおいてイメージをもったり目標にしたりできる具体的な人物を探すのだ。

芸能人など「見られる」仕事についている人には感心はないし、SNSにも頼らない。メディアや画面に映ってるものなんて作られた一部分でしかないし、あのきらびやかさを作りあげるのにどんな泥臭い努力やネガティブな要素が陰にあるのか知る由もないのだから参考にはならない。なので身近で、プライベートまである程度分かる人、裏表なく本当に素敵な人を探してきた。20代はじめには少し上の26,27のお姉さん世代を、30代になったらあんな感じか…とか、40代でもあんな風にしたら素敵に見えるんだとか。本当に参考になった。

具体的な例を一つ挙げると20代になったばかりの頃、24歳くらいのとても上品でありつつ面白いお姉さんがいた。彼女は育ちもよさそうで真似できない部分の方が多かったのだが一つだけ「これならできる!」と思ったのが自分に話題がむけられた時のひとこと目。

たとえば何か気になることを誰かに相談し、そのあとしばらくして「前に~って言ってたのはどうなったの?」と尋ねられたら

ありがとうございます!あれね~になったんですよ。」と返す。

まず、「自分のことを気にかけてくれて、覚えてくれていてうれしいわ」の「ありがとう」なのである。

シリアスな場面でも同じ。一度私が勘違いで自分がその人に嫌な思いをさせてしまったのかと思ってそのことを謝った時、

ごめんね~そんな風に思わせてしまってたんや。大丈夫。何にも感じてないよ。でもそう思わせちゃったんならこっちも悪かったね。」と返してくれた。

なんて人ができてるんだ!と感心したと同時にこれなら少し気を付ければ自分にもできるとも思ったので以来なるべくそれを真似するように生きてきた。ありがたいロールモデルだ。

 

 さて、自分が50歳になって年上がもういわゆる”高齢者”になってきた。これまでとはわけが違う。高齢者は体力、気力、知力などいろんなものが歪んでくる。昔は素敵な人だったのにと思う人が弱さゆえに残念になっていく。自分の身なりを整えるどころではなくなったり、早く反応できなかったり、会話が難しくなったりするのでどういうところを見るか悩んでしまう。「ああはなりたくない…。」と思うケースが多いので自分もその道をたどるのかと考えるととても切ない。

 最近思ったのはこれから先、目指すべきは<前向きさ>と<品>だ。

 老いるとまずネガティブになる。もともとネガティブ思考な私は本当に要注意で<ケセラセラ(なるようになるさ)精神>をスキルとして今からちょっとずつ身に着けていかなくては。<品>の方はあとから身に付くものではないような気がするのでとりあえず面倒でも身なりを整え丁寧語をきちんと使っていきたい。「存じ上げて」とか「恐縮です」とか使えるのと使えないのとでは大違い。 

 

 前向きな高齢者は見ていてこちらが元気をもらえるほどだ。残念ながら一番身近な女性である母は今は真逆の人。つい最近まではかなり前向きだったのにこの数か月で急激に体も心も弱ってしまったので今は口から出る言葉が天と地ほど違う。似たような年齢でもお元気で前向きな方々は聞いているとセルフコントロールを良くされていると思う。それは食べるもの、我慢するもの、運動などに現れていて、そういえば母はそこらへんが適当で割と自分の思うようにやっていてあまり我慢ができなくなっている。

品があるかどうかもそう。お金があるかどうかではなく、昔のモノでも大事に使い、体型の大きな変化がないように気を付けていればそうそう服を買い替える必要もないはず。結局どちらも<自制>と小さなことにも「これくらいまあいっか」とならないことが大事になってくるのだと思う。

 母のDNAが自分にも流れていると思うとこれは生半可な気持ちではやり遂げられない。ご近所の、知り合いの、チラッと見かけた人でも「良い!」と思ったら真似して行こう。