ハルノの日々の話

「お題」と詩と日々の話

人生の半分を過ぎたあたり

 わたしは今年で52になる。

 もう結構満足な人生を送ってきているのでなにかこれから<自分の幸せのために>足掻く必要も感じない。<満足>とは書いたが私の人生は波乱万丈度合いで言うと平均値を少し上回っていて。それでも特にどこかでへこたれることなく生きていられるのは「何に出くわすか」よりも大事なのは「そのあとどう生きるか」だと思っているから。そして確かな幸せ要素もそれに等しく持っているからなのだが。ここにきてまた新たなフェーズに突入した感じがする。

だけどこれまでとは違うのは私は<ブログを書く>というガス抜きを覚えた。ここからの人生のアレコレはここで吐き出していこうと思う。

 「親の介護」という言葉がとうとう私にも現実味を帯びてきた。父はコロナで大騒ぎになったその年の冬、老衰で亡くなった。最後に病院にかかったのはその8年前くらいだっただろうか。脳腫瘍の疑いやら胆管の不具合やら胃の不調やらいろんなものを抱えていて何度か手術を経験したが、8年前、最後に医師に「何もしなかったら来年の誕生日を迎えられませんよ!」と言われてから根っからの病院嫌いの父は逆ギレし「もう病院には二度と行かん!」と腹を決め、自分で自分を管理するだけで8年ほど生きた。88歳だった。最後まで家で家族と一緒に生活し、「ちょっとしんどい。病院行く。」と子供に付き添われつつ自力で病院に行ってからあっという間に意識がなくなり、1週間で亡くなった。ある意味幸せ者だと思う。たまたまその2週間前に唯一離れた土地に住んでいる私が実家を訪ね食事を作ったので子供たち全員の顔を見たあとだった。誰もがうらやむのではないだろうか自宅で最後まで自分の口で子供の作ったご飯を食べるなんて。一つ心残りがあるとすれば父より先に母が倒れて入院し、その場にいなかったことだ。母にとっては元気だった父の姿が最後になった。

 残るは母だが、父の死の数週間前、倒れた原因は<脳出血>。すでに<脳梗塞>を2回している母なのでもうだめかと思ったがまだ頑張っている。2回の脳梗塞ではほぼ何も深刻な後遺症が残らなかった母だが、さすがに今回は足も手も発話もぎこちなくなってしまった。とはいえ、仕事で遅く帰ってくる子供のために食事を作ったり、洗濯をしたりするし気力も衰えていない。使えなくなった自分の体にイライラしつつ、なんとかならないものかと試行錯誤する様子は子供としては頼もしいとともにまだまだ気持ちが前向きな分、助けやすいのだけど。

 そんな母が家の中で転倒したという。歩いていて躓いたとかではなく、両手を使ってただ皿にラップをかけようとしただけでバランスを崩したらしい。最近のトラブルエピソードはだいたい「今日は調子がいいからできる!」と思って動いたら…というものばかりなのでさぞかし歯がゆいだろうなと思う。これで「じっとしといて!」というのはかわいそうなのだが昼間どうしても5~6時間は母が一人になる時間があるためそろそろ何か手を打たねばならない。転倒後、一人で起き上がれず、妹の帰宅するまでの1時間半ほど床に寝転がっているしかなかったと聞き少し私も動揺した。そのあと多分本人が少しパニックになったのだろう「気分が悪い」と言い出し、救急でとりあえず脳の状態だけ見てもらいに行ったそうで、幸い何もなくその日のうちに帰ってこれたし、電話ではいつもと同じように話をしていた。母の口からは「みんなに迷惑をかけてしまった」という言葉。みんなのために晩御飯を気分よく作って大満足だったろうに数分後には自分で起き上がれなかった母。すぐ人の気持ちを思い図ってしまう私の性質上、そこが一番気の毒でならなかった。

 

 冬はなかなかハラハラする。

 

 実は自分の好きなことを書いているブログをすでに4か月ほど続けているのだが、母がひまつぶしに私の最近の様子を知れるよう最初に始めた方を母に教えてしまった。時々グーグルの分析サイトでアクセスを見に行くと「これは母だな」とわかるアクセス形跡があるのでそこに家の話を書きづらくなってしまった。まあ、想定していたのでぎりぎりまで迷ったのだけれど、時々見ているならまあいい事だったんだろう。何も感想は聞いていないが(笑)

 なので<はてなブログお題&詩>用にしていたこちらのブログでそちらでは書けないことを漏らしていこうと思う。

 

今日は外は曇り。猫も静か。