ハルノの日々の話

「お題」と詩と日々の話

褒めたら伸びるは本当か?

 なんとなくPCを開けてブラウザのトップページのおすすめ記事を見ていたら「就職の面接で良い社員を採用できる質問」みたいな記事が目に留まった。採用する会社側のための記事である。自分にとっては必要性は全くなかったが面白そうなので読んでみてちょっとショックだったこと。

「今までやり遂げたことはどんなことですか?」

これはいい。理解できるし海外でも聞かれることらしい。だけどポジティブな質問はこれ一個でこの後に続くのはこんな感じ。

「これまでどんな失敗をしましたか?」

「周囲の人はどれくらい巻き込みましたか?」

「うまくいかなかったことはありますか?どうすれば良かったですか?」

とネガティブな質問が続く。これを企業側が応募者に訊くと良いメリットは確かにあるのだろうけど正直こんな質問をされる面接はただの人生の反省会にしか見えない。ちなみに、海外の面接で訊かれることの似たような記事を探してみるともちろん短所を長所とセットで答える質問は書かれていたがあとは今後の展望や自分を雇ってくれたらこんな働きができるという提示など実にポジティブ。もちろん、私は面接を体験した人ではないし、この記事にどのくらいの信ぴょう性があるのかわからないけれど、ネットで公表されている以上日本の企業が前者のネガティブ質問を参考にする会社があっても不思議ではない。この面接受けたら私ならげんなりして帰りそう。

謙遜と挫折と反省が向上心を生んできた国民性

自分を褒められない

 さて、では自分の思考は普段どうかというと…

このネガティブな自問自答を日常的にしている<がっつり日本人気質>だし「次はうまくやろう」「あそこが失敗だった」が、その日自分ができたたくさんの良い部分を無視して脳内にどっと流れ込んでくるのでもはや”重症”だと思う。でも、なんならそれで向上心を保っている。他者が褒めてくれても「いやいや、そんなのは普通だ。うれしくもなんともない。」と思うほどなのだが、それだと他の人にも厳しくなってしまうので決していい事ではないと自覚している。

人を褒められない

 自分なり他者なり「ほめたら相手が調子に乗る」と言う理由で安易に褒めないという話を良く聞く。すごくわかる。「今できていることを褒めると、できていなかったところも知らない間に克服できている」と言う話もある。本当か?自分の感覚だけで言うと違うと思う。私に今、誰かに褒められるべきことがあるとしたらそれはここまで自分の中で反省会を繰り返して勉強して工夫して克服なり、努力なりして身に着けたものが多く、ターニングポイントになった出来事や誰かの言葉だって思い出せる。なんとなくまずはポジティブ思考になって気が付いたらそうできていたものなんてない気がする。そうなると、自分の経験から他の人にも「できていることを褒める」より「改善すればもっとよくなる点」を言いがちになる。だってそれで自分は成長できたと思っているから。

 

 一度、夫相手に少しだけ試してみたことがある。”昭和のお父さん”感バリバリの夫は「ちゃんと仕事してお金を家に入れてるから愛があるでしょ?」というタイプ。こちらが体調悪くても快くは用事を手伝ってくれないのだが(よほどこちらが具合悪くても「コレコレをこうやって」と具体的に言う必要があり、やっとそれだけはしてくれるという感じ)「僕は褒められて伸びるタイプだ」と言うので「ものすごくわかりやすく私の方が夫をいたわってほめちぎったら何か変わるのか?」と思い一時そうしてみたのだが、結果はなにも変わらなかった。まあ、私が年単位で試してみたらよかったのだろうけど体調の悪い日も多い私には待てなくて挫折。夫の方は気分よく満足しているが、テレビ・ゲーム・YOUTUBEにしか目が行かない実態は変わることはない。こちらのお願いはこちらが発するまであいかわらず目にも耳にも入っていないのだ。

 主婦仲間で話していると「長い時間かけて夫を育てなくちゃ」という人もいるが奥さんが旦那さんをコントロールするという感覚はどうも気分が乗らない。それに年齢的にもう人生の半分まで来てしまったのでこれから育てるっていうのも違うし。

メンタルヘルスには「褒める」は欠かせない

 褒めると伸びたっていうのを体感してみたい。もう遅い年齢だし、ネガティブ大国日本の昭和人間には最後まで理解できない感覚なのかもしれない。それでも、イメージを膨らませる限りそうやって生きていけたら老後は明るいかわいいおばあちゃんになれそうな気もするので今からでもやってみる。

褒めれる人が元気そうで幸せそうなのは否めない。<伸びる>かどうかもある意味”定規”で、その人が心軽やかに楽しそうに生きるかどうかだけで言えばやっぱり褒めることはいい事なのだと思う。

まずは自分で自分を褒めれる人に。誰かに褒められることに慣れる人に。