ハルノの日々の話

「お題」と詩と日々の話

隣組、やめました

隣組やめました。

 

隣組

10件前後の家ごとに組まれる組で、戦争中に生まれた自治組織。

大きな自治会のさらに細分化されたグループ。

うちの場合、今はただ回覧板を回して年に数回、寄付等を集めるだけのもの。

「寄付」なのにその年の当番の組長が家を回らなくてはいけないから集める方も集められる方もモヤモヤ。

 

やめたいなぁ~と思いつつ様子見してたけど、毎年組長をする人が減っていき、さすがに組長の数が半分を切ったところで、おいおいどうなってる?と動いてみた。

いなくなるのではなく辞退。とうとう10数件あるのに組長できる家は半分以下に。それ以外でなんとなく残っている家は数件。

高齢者が多いし、みんな足腰も悪い。

若い世代は日中みな仕事。だれも悪くはないのだけど。

減れば減るほどやめづらくなるので思い切って一度、残ってる人の本音を聞いてみることに。

そしたら、何件もの方が「いいタイミングだからやめたらいい。前々から思ってた」と。

区の職員さんも事情はどこも一緒でよくわかっていらっしゃる。

今の時代、もう無理強いしてはいけないことも。

ただ、運営が続く限り自治会費は集めたいから、形はどうであれ協力してくれる人を一人でも残したい。

 

ということでやめました。

市は「自治会には入っておきましょう」と案内するのでみなさん各自で自治会費を納めに行き、引き続き在籍中。区の職員もうれしい。これでスッキリ。

 

今回のことでそもそも気づいたらうちの組を示す<組長札>には番号がついていない。

昔ながらの村には「第12組」とか書いてあるのに?

隣の区の(区といっても田舎の分け方の区です。都会ではありません。)先輩に聞くと

「私の家のある住宅地も番号ついてないよ。どうも、昔の村の方たちから見たら後で建った住宅群はどうでもいいらしいよ?番号がついているのはそれ以上前の古い村だけみたい。だから私たちのところも数年前に組で相談して『全部各自でしましょ』って落ち着いたよ。」

と。”あとから建った”と言っても彼女も私も住んでいるのは築50年前後。

え、昭和40年代からもうどっちでもよかったの?(笑)なあんだ!早く言っておくれ。これで気が楽だ。

 

道の草刈りはシルバー人材センターがたまにきてやってくれているし、定期清掃もない。回覧板の内容は毎回同じで、全く同じお知らせが市報に挟まれてポストに入る。

組であることに何の特別感もない。

 

解体してみたら、

意外と仲良し同志で声を掛け合い自治会費を持って行ってあげたり、

本当にすべてを辞退したい忙しいシングルマザーがやっと抜けられたり

今回のことで話をゆっくりした分、世間話もしやすくなって

いい事ばっかりやん。

今までなんだったんだ?と思う。

人によっては高齢者になって組長を辞退しているのが申し訳なくて、なんてことない話もちょっとしづらかったみたい。

 

どこも同じ事情ではないけれど。

「やりづらいこと言い出してくれてありがとう」と感謝された。

良いご近所さん達で助かった。

 

 

 

 

お題「思い切ってやめてみた事」